昭和49年9月8日 筑水青年会研修会での御講話 (信太郎)
皆さん、本日はおかげを頂きました。只今から私の話を聞いて頂く事の時間だそうですけれども。まあ、普通ならば、(ざをみてほうとけ)というような事を申します。言うならば、お年寄りなら、お年寄り向きの、そして、若い方達には若い方達に向くような話をというのが本当でございましょうけれども、なかなか私には、そういう事は出けませんので、ただ、私がおかげを受けておること。得に、ここ一月あまり、しきりに思わせて頂いておる事などを、まあ、聞いて頂きたいと思います。
これは、私はそう思うんですけれども。日々お取次ぎをさせて頂きますに当たっても、例えば、様々な難儀な問題が御結界に持ち込まれます。病気もあり、人間関係もあり、または、色んな経済問題といったような事から、様々な、それこそ牛馬の事に至るまで、色んな難儀のお届けがございますけれども。それに対する、例えばお話というのが、私のは、その時私が一番強く思うておること。または、その時、私が一番有り難いと思うておる事などを聞いてもろうて。そして、皆さんおかげを受けております。
体が、例えば病気なら病気を致しますと、まあ、食物訓とか。または、その心掛けといったようなものが、普通、説かれるのです。ところが、私の場合は、例えば病気のお願いがありましても、まあ、金銭のお繰り合わせを頂いた人が話してあったり。または、金銭のお繰り合わせを願いに来とっても、病気でおかげを頂いた話であったり。または、私がその時、心に考えておった事などを聞いて頂く。それで、皆さんおかげを頂いておる。ですから、ここが分からなければ、おかげにならんと。ここを分からせなければというような事も、私の場合はないのです。問題は、私が強く感じておること。または、私が有り難いと思うておること。だから、今日も、結局そういう事になろうかと思います。
御教えに、御理解に、大きな信心をせよと。ね。小さな信心では、行き詰まると。大きな信心をせよと御教えを下さいます。私は、今の時代こそ大きな信心に、お互いが目覚めさせてもろうて。大きな信心。いわば、どんな事があっても、挫折することのない、または、どんな場合であっても、迷いなど起こる事のないような大きな信心を望まれる時はないのではないだろうかと思います。そんなら、大きな信心という事は、どういうような事かと言うと、なるほど、大きな願いを立てると。そして、それに向かって、お互い信心をさせて頂くわけですけれども。なら、天下国家の事を祈る。例えば、日々、拝詞を奏上させてもらいますが。その中にも歌ってありますように。世界真の平和と。世界総氏子身上安全と。まあ、これより大きな願いはないと思うのですけれども。それが、願ったからには、それが神様にお聞き届きを頂けれるような内容を持った信心でなからなければならない。いわば、ただ、唱えておる。唱え言葉であってはいけないと。そんな風に思います。そこで、私はやはり、小さなこと。自分の心の動き、一つの動き。または、小さな身辺の事柄のことから、だんだんおかげを頂いて。そして、そのおかげを段々大きく育てて行く。そして、段々大きな事が、実感を持って、言うならば、確信を持っての祈りが出けるようにお育て頂かなきゃいけないと思います。最近、私は合楽の皆さんに、こういう事を聞いて頂いとります。おかげを頂いて、まあ、一年二年、また三年。願わくば、椛目時代からでございますから、25年になります。その間のあいだに、皆さんがだんだんおかげを頂いて参りまして、最近、しみじみ思わせて頂きますことは、おかげ頂いたもんだなあと。第一、合楽で信心の稽古をさせて頂いておる方達の上には、病気が亡くなっておるという事実である。ほとんどは、薬箱がだいたい無くなっておるという事である。あるいは、病気をしても、お薬は飲まないといったような事じゃなくて、もう飲まんで済むほどしのおかげを頂いておるという事である。次には、貧乏をしている人がないという事である。というのは、金銭に不自由してないという事である。巨万の富を作ったという事ではないのです。それは、その日暮らしではありましても、西岡先生、すいません、もう障子を閉めて下さいませんか。どうか、あちらが目が光っていけない。例えば、その日暮らしではありましても、まっ、例えて言うならば、今日のお初穂まではあったけれども、明日はお供えするお初穂もないが、と例えばいうような人でも、または、今日までは食べるものがあったけれども、明日はもう食べ物がないという人であっても、お取次ぎを頂いて、明日は明日という、言うなら安心のおかげを頂いて、限りないおかげに繋がるという事を確信して来たという事である。ですから、限りなく、例えば100円なら100円に恵まれる。千円なら千円に恵まれて行く、言うならば事に皆さんが確信を持って来た事である。今日食べたけれども、明日食べるものがない。さあ、どうしようかと。隣近所にお米を借りに行くといったような人達が無くなって。明日は明日の風が吹こうといったような、暢気な考え方でもない。必ず与えて下さると、こう確信を持って、その日その日が過ごして行けれるようなおかげを、皆さんが頂いておるという事実である。だから、そういうおかげを、私は貧乏のないおかげという風に申しております。ね。次に、争いのない家庭がだんだん、確実に増えて来たという事である。それは、夫婦、親子の中に、様々な、特に人間関係は難しい。あります、ある事は。ありますけれども、ね、右だ左だと、例えば討論をする事ような事もありますけれども、そんなら、結局は親先生はどう仰るかと。親先生が言われる、そのところからです。ね、問題が解決しておるという事実である。私は改めて気付かせて頂いた。そこで、私はちょうど、もう2ヶ月にもなりましょうか。合楽の御信奉者に、言うならば極楽宣言をさせて頂いておる。皆さんは、本当はおかげを頂いておるんだ。ね。しかも、自分の心の中に、争いがない、貧乏がない。そして、病気がない。ね。言うならば、世の中の難儀というのは、先ずこの三つなのだ。争いのない世界、貧乏のない世界。ね、病気のない世界。そういう世界に住むこそ、極楽だと。ね。必ずしも、言うなら(きんべん?よくりょ?)のようなお家に住まわせてもろうた。三界の珍味を頂かせてもろうて。ね。(きんぷ)に負かれてというような事が極楽ではなくて、自分の心の中にです。ね、自分というものを振り返って見た時、または見つめてみた時に、おかげ頂いたもんであるなあ、信心のあった時代、なかった時代の開きというか。そこのところを、初めて気が付くように気付かせて頂いておる。ところが、やはり、いつもそういうおかげを頂いておりながら、おかげが頂き足らんように思うておる。ね。そういう不平不足の心がです、これほど信心するのにおかげを頂ききりません。先ずはじめのおかげを受けて、そして後に人を助けてやれと仰るが。先ず我が身におかげを受けなければ、おかげを受けなければと言うておる。先日、29日は毎月、65歳以上の老人の方達が集まる日なんです。お年寄りの事ですから、まあ、言うなら暇もある方達ですけれども。一番、色んな会合の、沢山、会合がございます。皆さん、こちらへお出でられる時にご覧になっておりますように、廊下に、トバに掲示してありますように、ひと月ほとんど、いろんな会合で詰まっております。その中に、29日はお年寄りの研修日なんです。年寄りの事ですから、やはり、その何ですか。ね、お茶だけではなくて、まあ、銘々まめを嫁が煮てくれたとか。ね、お饅頭を作ってくれたとか、皆が持ち寄って、そういうお茶おけなんかでも頂き頂き、楽しませて、食べる楽しみとでも申しますか。もう、皆さんが月に一回、24~25名、いつも集まりますが。楽しい集いになるんです。ほれで、もうはじめは、( )話をやって、お茶を飲んで、まあ、そこへちょっと私も入って行く。そすと、もう信心話よりか、もうとにかく世間話でこう花が咲いておる。ね。そこで、食べるしこ食べた時に、私が、んなら、これから、なら一つ私の話を聞いてもらおうと言うて、お話を聞いて頂くのです。ところが、饅頭が出る、色んなその物が、こう出るんですね。それを、きれいに皆が頂かれる。一人前に皆と足して、また大盛りにして、(あのを?)を頂くという方達もあるくらい。なかなか年寄りと言うても、食欲がなかなか旺盛である。そこで、私がお年よりの方達に言うんです。ね。皆さんをこうやって見ておると、もう本当にその饅頭でも、お漬物でも美味しそうにうまんまと頂かれる。という事は、私はおかげを頂いておるという印である。一人でも、何かその饅頭を見たばっかりで胸がムーッとして食べられないという方は一人もいない。同時にまた、ここへお参りをして来るのに、孫さんなり、息子さんなりが自動車で送って来たり。でんかったら、お初穂をもろうたりお小遣いをもろうて、やはり合楽教会に皆がお参りをして来ておる。ね。いわゆる、健康のおかげを頂かなければ出来る事ではない。ね。食べ物が美味しゅう頂けて。ね、そして、そういう、言うならば事由な時間を頂けておる。(だれでん気がねなしに?)おかげを頂いておるという事は、もう、それだけでも、私はおかげを頂いておる印だから。言うならば、それだけでも極楽なのだから。もう、この事だけでも、いわばお礼を申し上げなければいけないけれども。まあだ、お小遣いのもらいようが足らんような思いをしたり。ね。まだ、よりご馳走が食べたいといったような思いを、例えばおかげの頂き足らんような思い方をしたのでは、せっかくのおかげが死んでしまう。これは確かにそうです。おかげの頂き足らんというような思い方は、おかげが、もいう(はんしはんじょう)になってますから、育ちません。けれども、おかげをおかげと実感させてもろうて。おかげをおかげとして、厚くお礼を申し上げさせて頂く、そういう心に、いわゆる、おかげそのものも育って行くのです。ね。ですから、もうとにかく、私は合楽に御神縁を頂いておる人達は、先ず私は、また私の一家は極楽のおかげを頂いておるという、これをいわば確認せな。自分がおかげを頂いておるという事実を確認する。ね。そこからです、ね、言うならばおかげを頂いて行かなければいけないという風に申しております。先日、久富という方が熱心に夫婦で参られます。お夢を頂いた。というのは、合楽にお参りをする為に、あちらの善導寺の方から、こうやってくる。ところが、常持まで来た時に、常持て、もう合楽はそこに見えておるのに、常持でお茶畑を作ろうと言うて、その言うておるところで目が覚めたと言うのです。最近、合楽で、合楽示現活動と。こういう事を、今申しております合楽示現活動に参画ということ。それは、どういう事かと言うと、これは、神様に私はお知らせを頂いたんですけれども、私が善導寺でお導きを頂いております。三井教会です。ね。それは、婆の時代からですから、まあ、大変な広大なおかげを頂いて参っております。私もない命を二回も助けて頂くというほどしの広大なおかげを頂いておる。ね。で、信心もだんだん一家中でさせて頂くようになり、まあ、言うならば善導を受けて、有り難い勿体無いという信心を今日まで、もう70年余り続けさせて頂いておる。いわゆる、勿体島である。ね。そしていわば椛目であります。椛目というのは、あれは木へんに花が書いてありますね。言うならば、木は心と申しますから、心に花を咲かせるところ。有り難い、勿体無い、そういう心がです、喜びの花ともならせてもろうてです、その椛目では、喜びの花を咲かせに来る所だと、当時言われておりました。その信心の喜びをそのまま持ち続けて常持であります。よう出けとるでしょうが。ね、その久富が頂いたというのは、その常持まで来たところ。ね、さっきから申しますように、合楽の皆さんがです、本当に3年、5年、そして10年、20年と信心を続けておられる方達を見ておるとです、もう本当に極楽のおかげを頂いておる。貧乏のない、そして争いのない。ね、そして、病気のない、それこそ薬箱すらば無くなっておるというほどしのおかげを頂いておるという事は、もうこれは極楽のおかげを頂いておる。ね。そこでです、ただ、最近言われるマイホーム的なおかげという事を言われますけれども。常に持ち続けるというそこから、例えばおかげを頂いて有り難い、勿体無いと言うておる間ではです、本当の私は事ではない。ただ、極楽に座っておるだけではおかげではない。もう、合楽は、そこの目の前に見えておるのだ。だから、合楽のおかげを頂かなければならない。合楽というのは、合楽教会という意味ではありません。合楽というのは、何処までもです、それこそ天と地が一つになって、喜び合う時に、鶴亀が舞い遊ぶようなおかげだとも教えて下さる。天と地というのは、ね、いわゆる、天を神様とするならば、地は私ども氏子の、まっ、という意味に頂かなければならんと思います。天と地が一つになって喜び合う時、鶴亀の舞い遊ぶようなおかげ。言うならば、神も助かり、氏子も立ち行く。神様も喜んで下さるならば、私どもも喜べれるという、金光教のおかげの世界であります。ただ私が貧乏せんようになりました。ただ、私が、病気がいたしません。おかげで争いもありませんと言うておる間では、つまらないと言うのです。そのおかげをです、ね、それを一つ周囲に示し現して行かなければならないという事であります。言うならば、合楽の世界を広げて行かなければならないという事です。ね。神様も喜びなら、私どもも喜び。合楽である。もう、天と地が一つになって喜び合うというこの境地。それを、金光教的に言うと、神も助かり、氏子も立ち行くという事だと思うのです。そういう、神様も氏子も立ち行く世界を顕現して行くという事が、私は、私ども金光様の御信心信奉者の、言うならば責任でもあると、分からせて頂かなければいけません。私がおかげ頂きさえすればそれで良いというのでは、いわば、それは、ね、極楽までで止まっておるようなものだ。だから、合楽というのは、極楽のもうひとつ向こうなのであるという方であります。ね。私はどういう意味かは、ただ、示し現すという事だと思うておった。ところが、私がこの示現という事を申しだしましたら、それを、あの、字引きである方が引いて見た。ところが、その字引きには、こうあるんです。ね。神仏が不思議な働きを示し現す事だと書いてあります。神仏が不思議な働きを示し現す事だと。その、んなら、示現活動に参画するという事は、私が参画、参画と言うもんですから、私が無学で時々言い損なう事があります、色んな事を。だから、親先生があれは言い損ないござる。あれは先生、参加という意味じゃないですかちいう人がありましたから、確かにあの、それはそうだけども、私が言うのは、やっぱ参画だよと。四角でもなかにゃ、まるでもない。参画なんだ。とにかく、字引きを引いてみてごらんという訳なんだ。ところが、その参画という意味は、字引きにはね、どうあるかと言うと、計画に預からせて頂くという事だそうであります。計画に預からせてもらうという事です。言うならば、神様の言うならばご計画。それに私どもが預からせて頂く。参加するのじゃない、参加させて下さいと言うのである。いわゆる、参画である。合楽に、いわば示現活動に参画する。こういう風に申しますと、例えば合楽以外の方は、今言うように、まるきり合楽教会の宣伝文句のように感じますですけれども、それは、お道風に言うならばです。ね。神も助かり、氏子も立ち行くところの世界。ね。そういう世界を顕現して行く、現して行くという事になるのです。ね。ですから、お互いがです、ただ、もちろん私がおかげを頂かなければなりませんけれども、その頂いたおかげが、そこで止まっておっては、それは常持であります。ね。それを、現して行く。最近、私はこういう事を頂きます。皆さん、この、善導寺、勿体島、椛目、常持という意味は、皆さん分かって下さったでしょう。いかにも、こう、こじつけたようであるけれども、と言うて頂いたら、もうおかげはないです。本当に、なるほどそうだなあ、というところにおかげはあるのですからね。いわゆる、善導される。そして、有り難く、勿体無くなって、常に心に喜びの花を咲かせて、それを常に持ち続けて。それを、合楽にゴールインという事なのです。こういう字は、おそらくあの、辞書にもなかろうと思います。寒天危地です。字が下手ですから読みにくいでしょうけど。ね。これを、あの、はじめの日に頂いた、その次の朝、寒天危地という事を頂きました。どうして寒天危地などというような言葉で頂くか、寒天危地という事は、もう、その字の呼んでの通りでありまして。天が喜ぶ、地が喜ぶとありますがね。ですから、言うならば、神も助かり、氏子も立ち行くという事だと思うんです。ね。ところが、どうしてこの、こういう天の喜び、地の喜びといったような事を頂いたかと言うと、次の日に、この歓天喜地を分からせようとなさる神様の働きが、そういう一つの同じ語路ですけれども、内容は天と地ほどに違う訳なのです。ね。寒天というのは、もちろん、神様が寒い思いをなさるという事だと思うです。危地というのは、人間の危機だという風に思います。人類の危機だという事であります。ね。皆さんは、そういような事を、最近感じられる事はないでしょうか。ね。今、地球上に様々な不思議な現象が起きておると言われております。例えば、サハラ砂漠に雪が降るとか。ね、25万人からの人が凍え死んでおります。南極の生みが凍って、船が動かれなくなったというようなニュースも聞いております。ね。天地の親神様の、いわば止むに止まれない思いを、どうかして分からせたい。どうかして、そこを気付かせたいというような働きを、私は感じます。これは、言うならば、学者の方達が、ね、計算の上から行っても、ね、科学上から言うても。ね、例えば現在の地球上に住む人間、人口の問題一つに致しましても、( )問題である。ね。芳崖の問題と言い、資源の問題と言い。もう、本当にこれは、私はその事をです、先日、地球に死相が現れておるというような厳しい事を頂きました。もう、言うならば地球は今、ね、末期症状にあるという事なんです。それを救いゆるもの。ね、そこを抜けれるもの。私は生きた宗教にゆだなければならないという事であります。ね。ただ、観念の遊戯にしか過ぎないような宗教では、もう役に立たない。ね。これは、もう長年言われておる事でございますけれども、お道に置いてもです、善教一心、そして全教一家。その実が上がって行かなければいけません。これは、金光教だけのもんでありません。全教一家ということを、最近は、私は世界中のあらゆる、言うならば宗教がです、ね、打って一丸になって、この世界の難儀に当たって行かなければいけない。そういうようなものを感じます。ね。そこで、私どもがです、言うならば、そういう例えば仏教とかキリスト教辺りのような大宗教がです。ね、言うなら生きたおかげ一つ、言うなら奇跡ひとつ現す事の出けないほどしに、言うならば力が無くなって行っておるのにです、ね、お道の信心であるところの、言うならおかげは和賀心にありと言われる、ね、和賀心の信心を、私はあらゆる宗教者に伝えて行かなきゃならない、教えて行かなければならない。そして、お互いが持っておる、何千年という長い伝統の、いわば教えであったり、宗教がです、また生き生きと活動を始めるような働きを示してもらいたいような思いが致します。和賀心というのは、ね、私はそういう大変な内容を持っておるもの。和賀心にありと。先日から、その教祖という方は、朝鮮の方だそうです。朝鮮人。それが、あの何とか言った。その、宗教活動をやっとられる訳。そこは、皆、若い人が非常に多いです。この頃から、私のところにやってみえました。それで、何か、その私を、まあ、お導きをしようという訳です。それで、私聞きました。金光様の御信心よりも素晴らしいなら、私は貴方の宗教に変わっても良い。ほらあ、もう一生懸命で話されました。ね。それから、また、あの、私の話を聞いてもろうた。そしたら、もうそれに、色々、まあ、行き詰まって来られましたから、それから2~3日しましたら、言うなら、(せいせいがっきゅう?)の方達が三人、四人連れで来ました。そこで、まあ、話を聞かせて頂いたんですけれども、もう本当に私達から言うと、ぐにも付かないような事を言っとられます。いわゆる、キリスト教から出たのですから、人間の難儀の元というのが、ね、男女関係の乱れから起こるんだという事を、しきりに説かれます。ね。それで、私は、まあ、申しましたんですけれどもね。金光教にはね、それで私はこういう事を聞きました。第一、なら、貴方がたのような立派なお洋服を着て、立派な方達が、そのどういうような事で生活をなさっておられるんですかと。信者には一銭も出させない。という訳なんです。ところが、話を聞いてみますと、この廃品回収をやっておる。教祖という人が早稲田大学を出た方です。いわゆる、あの、リアカーを引っ張って、廃品を回収して。それで、色んな宗教活動をしたという方らしいんです。ですから、その後に続く者も同じような事をしておる。それから次には、花を売って回っておる。先日、あの若松の若先生がお見えられた時に、その話をしておられました。ここへ、見られる途中でです、(どっとあの?)、通りにパーッとその出てきてから自動車を止めるからね、どうした事かと思ったら、その、この花を250円、300円だから買うてくれと言うてから、その、いうような、やはりそんな宗教だったらしいです。ね。それでね、私はあの、申しましたんですけど。その金光教の信心ではね、そういうように、そのボロを買うて回ったり、花を売りに回ったりはいたしません。と言うて、信者にお供えの教養も致しません。ね。例えば、日本だけではありませんけれども、日本の津々浦々に金光教の教会があります。その教会の、ただ一軒でもです、花を売って回られる先生もなからなければ、言うならば廃品回収して回られる先生もない。とにかく、難儀な氏子が取り次ぎ助けられて。そして、その喜びがです、神恩報謝の心が、いわゆる報謝ともなって、教会が維持されておる。ね。しかもね、んなら、金光教の場合は、それこそあの御結界、畳み半畳に座りぬかせて頂いて。ね。もう、もし参拝者がなかったり、お供えする所がなかったら、もう、それこそ、ね、もう死を決しての事である。金光教の信心は非常に消極的だという風に言う方がありますけれども、私は、金光教の信心こそ、超積極的だと思うです。いつでも、そういうような覚悟の上に立っての布教なのですから。ね。そのかわりに、お取次ぎを願え、参って来る氏子を、ね、その願いをお取次ぎさせてもろうて。ね。絶対の信を持って、お取次ぎをさせて頂くということ。そして、何を目指させてもらうのかと言うと、いわゆる和賀心である。その和賀心にはです、どういう、例えばそれは、ね、難儀な事があっても、ね、例えばその男女の関係といったようなお粗末御無礼が、ああ、それはあるかどうか知らんけれども。ね。まあ、例えて申しますなら、ね、まあ、玉ねぎがこうあります。玉ねぎの根に沢山な根がついてる。ね。玉ねぎという大きな根の下には、沢山の根がついてます。ですから、玉ねぎという、それが一つの難儀であるならばです、この難儀というものは、あらゆる、もう様々な原因があって、こういう結果になっておるのかも、それは分かりません。貴方がたが言われるように、なるほど、男女間の乱れた生活といったような事が、難儀の元になっとるのかもわかりません。ね。または、先祖の中に、色んなお粗末御無礼の人があったりしてから、したら、もう沢山のその要素というものはありましょうと、難儀の要素というのは。けども、どういうような、例えば難儀の元がありましてもです。ね。お道で言うところの、和賀心というものは、ね、どういう難儀な根がありましてもです、和賀心の前には、それはちょうど、霜に(臭い?)をかけるようなものだ。和賀心一つを追求し、和賀心を頂かせてもらうお互い精進をさせて頂いたら、どういうめぐりの元があり、難儀の元があり、そして、そこに難儀というものを形成しておりましてもです。ね、和賀心の前には消えて無くなって、しかも、その和賀心には、人間の幸せの条件のすべてが足ろうて行くというほどしに、おかげが頂かれるのが、金光教で言うところの和賀心だという風に説きますと。そして、私を見て下さい、私は何もそういう事は知らないけれども。なるほど、根限りの難儀を致しましたけれども。おかげでです、言うなら、和賀心一つで、今日の合楽は生まれておると。というような意味の事を、お話させて頂いたんです。私は、とにかくその、金光教で言う、あの天地書附です。いわゆる、おかげは和賀心にあると仰せられる、この和賀心をいよいよ本当なものにして行くという事がです、私はあの、教祖が教えられる御教えのすべては、その事に、ための御教えだという手も過言ではないと思います。ところが、なかなか難しい。これは、もう、2~3年も前だったでしょうか。広島に佐藤という、佐藤ひろのぶという先生がおられます。ちょうど私ども、修行生と誰かと一緒に同期だった訳です。合楽の事を聞かれて、ちょうど夏休みを利用して、一月間、ここに修行に見えておりました。その先生が、まあ、言うならば合楽に一つの動燃心を燃やしたわけです。学院でも、もう感心なくらいに、皆がお酒なんか沢山頂くそうですが、お酒のビンが溜まります。それを全部もらい受けてから、その、沢山貯めてです、そして合楽までの旅費を作ったという先生。佐藤しゅくろうの孫かひ孫に当たられる方です。なかなか真面目な良い信心をなさっておられましたが。ね。そういう一生懸命の思いを持って、言うなら思いを燃やして、合楽に修行に見えた。見えましたその翌々日だったでしょう。御祈念を一緒にさせて頂いておりましたら、御祈念が終わってから、御結界の前に出て来られてからです。先生、こんな不思議な事があろうだろうか。一生懸命に御祈念をさせて頂いておりましたら、私の目の前に、あれの合楽の御神前にです、横書きに平和な心という、大きな字を頂いたと。それが先生、こういうような字なんですよと言うてから、字を示して下さった。それは、平という字は、一という字を書いて、八をこう書いて、そしてこれに(こらす?)という風に読めれる漢字。平和という字は、もちろん、この平和ですけれども。これが、ちょうど、何か鉄筋でも中には入っておるかのように、もう、とても頑丈な頑丈な、その和という字である。なというのは、奈良の奈というです。それを、大きく示すと読まれるような漢字である。心というのは、これも、やっぱ八の字に、これを、点々も八の字にこうやって、これで、そして心という漢字。平和な心。平和な心というのは、こういうような内容を持っておらなければならないものだという事を、神様は貴方に示して下さった事でしょう。まあ、言うならば、和賀心ですよと。ね。とにかく、その平和の和がいいじゃない。ね。中に鉄筋でも入っておるような。ただ、普通であの、和と申しますね。人間の和という事を申しますけれども、教祖が仰った、私は和賀心の和というのはね、叩いても、ね、どんな事があっても、崩れないという心なんです。それこそ、中に鉄筋がちゃんと、こう入っておるようなものです。ね。しかも、その平和奈というは、大きく示すと。ね。心という字は、ね、八の字に、八の字を書いてあるのですから、広がりに広がって行くという事です。ね。それを、世の中に大きく示して行くという。平和奈というのはそうです。平和の平という字は、一から八、十という事です。一というか、始まりです。八はおかげ、広がる。ね。十というのは、いよいよ、それにプラスして行くこと。限りない、いわば広がりを示したものであろうという風に、私は聞いて頂いたんです。ね。ですから、そういう心を私どもが目指させて頂くということです、信心は。そして、それを示して行く。それを現して行くという事なんです。やはり、これは(人知?)じゃない。やはり、神様の知恵に寄らなければ、こういう事も分からないわけでありますけれども。ね。只今申して参りましたように、今の私どものその、人類の上にそういう危機が迫っておる。
(b面)・・・ておる事は、いつの時代でも、ピッタリその、合うておる事で、合っておるという事だそうです。私はこの話を聞かせて頂いた時に、本当に寒い心が致しましたね。ね。ちょうど、あれは、私どもの方でも研修会があっておる時にその話を聞きましてね。それで、私はあの、神様にすぐその事を、こういうような巷では噂をしておるという事ですが。事実、そういう事になるのでしょうかと。ところが、神様から私が頂きました事にね。人間氏子が、自分で自分の首を括るような事をするから、というお知らせを頂きました。人間が自分で、自分の首を括って行くような事になって来るからだと。そこでです、それとは反対にです、今、これに申しましたように、広がりに広がって行くところの、限りないおかげに繋がって行くような生き方をする人の上にはです、ね、そういう事は起こらない。そこで、そんなら、私大坪総一郎がです、言うならば行き詰まらない生き方。ね。そういう生き方を体得させてもろうての信心生活が出ける人の上にはです、ね、言うならば生き残る人々としてのおかげが受けられるんだと。それは分かりません。ね、25年、そういう事があるから地球が破滅するのか。けれどもね、これはまた、その、そういう事はないとも断言でけない訳ですよ。なぜかって、教祖様も仰っておられる。ね、世の中が開けたと言うけれども、ね、開けるのではない、めげるのじゃと言うとられれます。言うならば、その、めげてめげても、めげ抜いて、言うならば行き詰まりを感じようとしておるのが、現在ではないかという事になります。お釈迦様も末世の世という事を言っておられましたそうです。キリストも、ね、最後の審判という事を言っておられたという事であります。言うならば、善と悪とをハッキリさせる時が必ず来る。そして、そういう善の者の上にはです、ね、いわゆる天国は近づけるという事になるんだと。最後の審判。これには、もう善と悪とが、ハッキリして来る時代が来るんだと。先日、私が色々お話をして、いっぺんこの本を読んで下さい。あるキリスト教の方がです、その売りに来られたキリストの本、小さいパンフレットのようなものでしたけれども。あの、なかなか難しい事が書いてあるから分かりません。けれども、所々分からせて頂いたんですけれども。あの、黙示録という、あれは六千年前の、まあ、予言書だそうですね。それがね、神様の目からごらんになるとです、しかし、それも私はそうだろうと思うんです。神様の目からご覧になると、千年が一年だそうです。私どもが、千年と言うたら、大変な長い間ですけれども、神様の目からご覧になると、千年という事は、一年にしか当たらない。ね。その六千年目がもう来ているんだ。しかも、言うならば、これは、ね、その何とかという預言者だけではありません。ね。なら、今の学者達が言っておる、言うなら、人口の問題とか、または資源の問題とかもです、もうね、確かにもう24~25年、もう20年も持てないといったようなもんも沢山あるという事ですね、資源の中には。ね。人口も今のまま行ったら、もう本当に、まあ、共倒れだといったような計算になるそうです。ですから、その私がその本を読ませて頂いた事から言うならです、もう、その六千年の時に、六千年目に入っておる。しかも、5千975年は過ぎ去っておる。後25年というのは、もう神様の目からご覧になると、もう、そこに近づいておるという事。言うなら、神様が寒い思いをなさる。私が頂くように、地球上に死相が現れておるというほどしの事なのだ。ね、その死相が現れておる。これは人間でもそうです。人間でも、言うならばもう、これは時間の問題だと言われるような人達がです、もう死相が現れておる以上の、いわば人がです。ね、神様のおかげで助かるという事実がありましょう。この頃も、ここの信徒会長が、ご承知のように、(きょうづめや)をやっております。呉服をやってます。ある所に行き合わせましたところが、ちょうど半年ぶりに会ったお得意さんであった。ところが、もう手にあわんしよりなさる。何かあったっですかて言うたら、実は貴方、娘がこうして、もう死にかかっとると、こう言う。どういう問題であったからか知らないけれども、あの、砒素という毒薬があるそうですね。これを飲んだらね、この内臓がグチャグチャになっておるんだそうですね。というほどしに、ひどいもんだと。こういうもんで助かったもんはないち。三日間、仮死状態になった。そしてもう、言うならばあの、口で、羽で水を飲ませる、いわゆる、(まぞご)の水を飲ませんならんというような、手にあわやしておるところへ行き合わせた。そこで、あの、その方がちょうど、何年か前に、まだ椛目の時代に何回かお参りをしておかげを頂いた方ですから、早う合楽に電話かけなさい。と言うて、あの、電話をかける事を進めたから、すぐ電話を信徒会長がかけて来ました。そして、向こうのお母さんと替わらせて頂いて、もう、それこそ、実はこうこうですがということ。もう、長い間御無礼。もう、そげな事っじゃなか、だいたい病人はどげな風か。いいや、もう、死にかかっとると、こう言うんです。三日間、仮死状態であって、もう今日はいよいよという時なのである。ね。それで、私は信徒会長に御神米を、持っとる御神米を噛み砕いて、そして口の中に押し込んでやって、それが入ったらおかげになるって。ところが、それが入った。それで、両親が揃うて一時間後には、合楽にお願いに参って参りました。ね。それから、1~2回電話でお届けがあっておりましたが、14~15日、もう、だから、一週間ばかり前です。もう、私9時に終わりますから、終わって、終わろうとしておりましたら、お母さんが参って来ました。おかげを頂いてね、おかげで助かりましたと。もう、退院を待つばかりで、これは、もう医者もたまがっとる。だいたい、肝臓がやられてしまっておった。ね。というように、もう、言うならば、死ぬばっかりのが助かるというような。今、九大で(ようりょう)をしております、ここの総代さんの熊谷という方の孫に当たります。お家はお医者さんです。ですから、信仰には、こう、えらいこう抵抗がある。けれども、おばあちゃんという方が熱心に信心を致しておりますから、いよいよお医者さんが、後五日間の命だと言われた。白血病なんです。今、白血病は、今の医学では、その治療法がないそうですね。輸血をする以外にない。もう、それも、あと五日の寿命だと言われた。そこで、おばあちゃんが病人へ行かれた。もう、それこそ、もうこのベッドの周囲には色んな機械が、ね、あのされて。もう、どんな時にはこの機械を、もうそれこそ、あの、薬尽くめであり、機械尽くめであります。もう、徹頭徹尾、まあ、行き届いた治療を受けておられるけれども、もう後五日の命である。本人は、もう虫の息である。湯水も通らない。もちろん、ものを言う元気もない。もちろん、こちらが言っておる事が分かるか分からないかは分からないけれども、まさふみさん。おばあちゃんが、まさふみさん、あの、おばあちゃんが見舞いに来ましたよ。ね。おばあちゃんが今からね、神様のお話をするから、ね、聞こえるならばね、あの、首を縦に振りなさい。聞こえないならばね、いや、聞こえないならじゃない、あの、お話を聞いてきついごたる時には、横に振りなさい、止めるからと言うたら、もう、それこそぽろぽろと涙を流した。そして、もう一生懸命にお話を続けられた。ね。そして、あの、おばあちゃまがね、明日はお神様をお共して来るから。今日は後神米を頂いて、明日は神様をこの部屋にお祭りしてあげるから。明日からは、今おばあちゃまが言ったような事を心の中に念じて、金光様を念じて、親先生を念じて、ちょうどこうやって寝ておるところの、底にあたるところに、明くる日はお神様を奉祭した。もう、それこそ、( )の神経をしておられるくらいですから、お医者さんもそれ、何とも言われなかった。もう、好きようにして下さい。お父さんは、浮羽郡の方で有名なお医者さんなんです。ね。そして、お神様をお祭りして、拝ませて頂くようになり、おばあちゃんが行って、お話をするとば楽しみにするようになった。おかげで湯水が通るようになった。ご飯が頂けるようになった。周囲にあった機会の全部が退けられるようになった。それこそ、五日しか持てないのが、10日、五日間生き延びました。15日生き延びました。おかげで一月生き延びました。2ヶ月、そして3ヶ月と、もうおかげを頂いて、この頃では、もうとにかく、食欲旺盛というほどしのおかげを頂いておる。ね、だから、言うならば、地球上に死相が例えば現れておると言うてもです。ね、その死相を祓うほどしの、私はおかげを頂けれるのは、生きた宗教による以外にはないのだと。言うならば、私どもがです、広がりに広がって行く道を辿らせて頂いて。ね。言うならば、合楽示現活動に参画させてもらう。それこそ、神様も喜んで下さる、氏子も喜べれる、言うなら、私どもがおかげを頂いて、私だけは極楽に行っておる。ね。人の事は知らんといったようなことではなくてです。私が頂いておるこの喜びを、このおかげをです、人にも伝えて行こうという運動というか、そういう活動にです、お互い一人ひとりが参画させてもろうて。ね。世界の難儀に当た当たらなければならない時だと、私は思います。ね。しかも、それはです、私は若い力に寄らなければいけないと思うのです。ね。どうでしょうか。バスの中でも、汽車の中でも。とにかく、お道の信心の有り難い事をです、んなら、マイクを持ってお話でもさせてもらえれるくらいな勇気が必要です。それには、先ず自分自身がそれを頂かなければいけません。いわゆる、合楽示現活動を私が言い出すようになりまして、もう一月ちょっとになりますでしょうか。ね。いわば、熱心な方達は、みんな例えば福岡辺りからお参りをして来る方達は、電話、バスの中で、もうとにかく、今日は七人の方に、今日は八人の方にこの事を伝えさせてもらいました。そして、ここで毎月出ております、おかげの泉という小冊子があります。それを、皆に買うてもらう、100円で。もう、それこそ確信を持って、売っております。このおかげの泉という本は、もうそれこそ日本一体裁の悪い、いわば御本ですけれども。ね。この御本を読んで頂いて。100円で買うて頂いて、もしこれで、例えば、まあ、読んでプラスするものがなかったならばです、100円なまたお返ししますから、買うて下さい。差し上げるのは訳ないのですけども、ただでやったんでは、おかげにならん。だから、どうぞ買うて下さい。あそこに、中村くん、すぐそこでお母さんが、中村食堂、合楽食堂をやってます。ね。先月なんかは、二十冊から、そのお客さんに。はあ、また、あそこに例えばご飯食べに行くと、またおばしゃんの話を聞かんならんと言いながらです、話を聞くことが、皆楽しいらしいです。まだあのおかげの泉は出らんのと言うてから、細則される方もあるくらいです。最近、私はあの、思うておる事は、もう全国の、今ちょうど愛読して下さる方が六百になります。そこで、来月辺りは、また100冊ぐらい増加、あの、多く作らんならんだろうと皆で話し合っておりますがです。遠隔地の方は、いちいち電話でお取次ぎを頂いたりはいたしますけれども、教えを頂けません。そこで、あのおかげの泉を読んでおります。私が、はぐったところに、あの、こういう事が書いてあります。おかげの泉は、ね、どこまでもおかげの泉であります。ね。ですから、看板に偽りがあってはならないと思うております。ですから、新聞とか週刊誌のようにです、雑読をなさってはいけません。少なくとも十回は読んで下さい、というような事を一番はじめに書いてあります。ね。それこそ、病人の数なんかは、ね、15回も読み返したという方があります。おかげで、痛まなければならんところが痛まん。熱が出らにゃんはずのつが熱が出らない。お医者さんが来てから、そげなはずはなかがち言うてから言わっしゃったんです。そげなはずはなかがち言うたっちゃ、あんた、ほんなこつ痛まんとじゃけん、しょうはなかじゃんのち言うちから、言いましたち。お医者さんちゃそんなもんですよ。ね、もう下痢ち言うたら、やっぱ(下痢ば)喜びよるとじゃん。はあ、あの医師、お医者さんが言わっしゃった通りじゃったち。ね。ほれは、もう五日間の命ちしか言うたつが、どんどん助かって、もう、ちいったモヤモヤしござるごたる感じも、なきにしまわず。はっは。いや、本当ですよ。だから、その事を聞いて隣にです、ね、この方は、お金はどがしこ持っとるじゃ分からんちゅう、韓国の方です、リーさん。7年間もね、病院に入院して、何とか癌です。いわゆる、もう死を待つばっかりです。先月、今月が亡くならっしゃる月になっとるです。はっはっは。本当ですよ。ほれで、もう奥さんが毎朝ね、もう私が3時半に出ますけん、そげよりか早く、もういつも御結界に、お初穂はちゃっと置いてある。ね。その隣のお医者さんの息子さんが助かりよる。五日しか持てないちゅうとが、それこそ1ヶ月生き延びた、2ヶ月生き延びたで、おかげ頂いて。しかも、食欲が出て来とる。ね。もう、本当にそういうね、その、本を読んだだけでもおかげを頂く。読むのじゃない、もう頂くという事ですよね。面白いですよ。先日から、福岡のあそこは西陣と。西陣教会の総代さんという方がお参りして来てます。ほれは、色々おかげを頂いたもんですから、本当にもう、その自分の教会に帰って、その朝の御祈念の後なんかには、合楽で頂いて来たお話を皆さんになさる。先生も喜んで下さる、信者も喜ぶ。おかげで朝参りが多うなった。ちょうどお参りして見えた時に、ちょうど久留米の、あのインターハイが、あの終わった頃でした。ちょうどご承知のように一週間でございましたからね。ほれで、三十一日の日までは、そのずっと毎日お湿りがあってました。そこで、あの、市長さん。それから、秘書の方、奥さん、お子さん四人連れでお参りになりました。今までは、色んな選挙か何かの時に、御神縁を頂いてから、市長の立候補をされた訳ですけれども、色んな、そういう、まあ、言うならば選挙運動に見えとるような感じのお参りであった。ところが、その日は、真剣な面持ちで参りました。もう、私は四時半の御祈念を終わっておりましたから、大接間で聞かせて頂いたんですけども。実は先生、ご承知のようにインターハイで、明日は皇太子ご夫妻が見えて、これは70年に一回しか回ってこないというほどしの事でありますから、久留米の責任において、市長の責任においてです、いわば皇太子が見えます、ここにお粗末御無礼がないように、もう、本当に、まあ、無理な事は申しません。3時から6時までの、あの式のある間でも良いから、お湿りがないようにお願いをして頂けんでしょうか、というお願いであった。それで、私が申しました。もう、その頃は私がいわゆる、その示現活動を一生懸命させて頂いておるのです。実を言うと、私はここに、もう25年になりますけれども、25年間の間、お導きをせよと言うた事がありません。御用をしなければ助からんといったような事を、もう一切言うて来ませんでした。普通では、お導きという事を言うでしょう。合楽の場合、25年間、言うてき、私、自分ながら不思議でたまらんです。ね。お導きをするという事を申しませんでしたけれども、25年間。そして、先月あたりからです、もうその蓋を取ったように、私が、もう人の顔を見れば、言うならば合楽示現活動をいたします。ね、言うなら、合楽で事実おかげを受けておる事実を、もう一生懸命聞いて頂きます。1時間あまり聞いてもらいました。なら、市長さん、秘書の方、みんな。ね。そして、最後に申しました。どうぞ、3時から6時までなどと仰らずにです。ね。五日なら五日、六日なら六日。インターハイが終わるまでお天気のお繰り合わせを願われた方がいいですよ。なら、そんな欲な事が出来るならば・・・それは。いや、市長さんもそげん言いなさったです。ね。ですから、ね、あの欲な事じゃありません。これは、もうね、貴方一人のためじゃない。ね。それこそ、久留米全市のためにです、貴方が、その責任者としてのお取次ぎを願われるなら、ね、私がその事をお取次ぎさせてもらいます。出けるなら、なら一週間降らんごとお願いしますということで。一週間降りませんでした。明くる日から、快晴。一番はじめに、私が言うた通りの事を、あの、挨拶に言われましたですね。市長が挨拶されたでしょう。私はテレビでそれを見たり、聞いたり、そして頂いておった。非常に、もう感動いっぱいで。ね。今日は恵まれに恵まれて、この快晴の、お天気のおかげを、おかげを頂いたち言わっしゃれじゃったですけれどもね。そういう意味の事を言われました。ね。そして、快晴が続きました。四日目でしたでしょうか。ね。ここ辺り、もう土砂降りでしたけれども、元の旧市内の周囲は、もう、佐賀、八女全部降りました。ところが、旧市内だけは降らなかったでしょう。中でも、二回ほどお願いに見えました。ね。毎日毎日、快晴が続くから、もう人間ちゃ有り難うなったら、面白い、もう、私は面白いちゅう事にはならんけれども。本当におかげと実感したらですね、合掌しなければおられないですね。市長一向がお参りをして来る。その、お広前で信者に会うと、はあ、と言うて、もう信者さんを拝まれる。いや、本当です。もう、帰りがけに、もう廊下に会うた人達には、皆こうやって合掌してから、もう貴方がたがお祈り添えをして頂きよるという意味じゃないでしょうか。ね、合掌しながら、外へ出られたという、私は見ませんけれども、聞きました。そして、一週間終わって、もうそれこそ感激のお参りでした。ね。もう、本当に見事におかげを頂いて、無事におかげを頂きまして、ね、一週間、快晴に恵まれてと言うて、もうそれこそ手厚いお礼をなさいまして、帰られたなと思う頃から、もう、これは久留米地区一帯に、(ごうご)でございました。ここ辺りは、大変な(ごうご)でした。もう帰られたかというところから降り出したんですよ。いかに神様のおかげを、いよいよ市長さんに
分からせにゃおかんという働き。おかげで、この頃からは、私製の事をお願いに見えるです。ね。私は本当にです、もう総理大臣をはじめです、いわゆる政治に立ち触る人達がです、本当に金光教の信心を頂いて、政治の上にそれが現れて来るようなおかげを頂かなければいけないと、私は思うです。ここも、支部が伊万里にあります。伊万里の市長が、もうここで10年来の、一家をあげて信心致しております。もう、本当に私は半年ばっかり前に、あちらの市庁舎が出けた時に、招待を受けて参りました。初めて、あの市長さんの椅子というのに掛けてみました。先生、ちょっとこれが市長の椅子ですから、先にいっぺん掛けて下さいち言われた。( )、とにかく座りにくうしてですね、ぐるぐる回る。はあ、こげん、と今言うて、そのもう、とにかくです、もうその(行き届いた?)、実意丁寧の、もうそれこそ手本のような、あの市庁舎が出けております。もう、とんなにあの、何て言うんですか。足が悪くて、こう車で回られるでしょう。そういう人達が来ても、その市庁舎の中に入られて、ずうっと回られるように出けております。そうでね、もう本当にあのホールなんかは、もうとても、一流のあの喫茶店あたりじゃかなわないような素晴らしい(模様で?)。例えば、市庁舎で会いましょうと、例えば(そこの用件でもね?)というような雰囲気があるんです。もう、それはもちろん市長さん招待のお客さんですから、まあ、皆さんが大事にされたのはもちろんですけれども。もう、まあ、どうしてこんなに行き届いておるだろうかというぐらいに、その職員の方達の行き届いておられるのにも、また驚きました。おかげを頂いて、言うならば、伊万里市のいろんな行事は、雨ごえ行事と言われるくらいじゃったそうです。今の竹内市長がおかげを頂くようになって、もう5年。もう、おかげを頂いて、行事の時に雨が降った事がない。今度の市長はついとるち言うて、皆が言うそうです。ほれはついてござる、天地の親神様がついてござる。ところがです、いわゆる、その先ほど、西陣の総代をしておられるという、その何とかさんじゃったでありましたが、お参りをして、そのインターハイの話を聞いた訳で。それで、2~3日前、手紙が来ました。今の福岡の(しんどうさん)と言うですか、市長さんは。市長は、私の早稲田大学時代の先輩に当たる方なんです。それでね、どうか市長さんお願いを致しますから、合楽にいっぺん、どうでもお参りをして下さい。福岡市民のためにお参りをして下さいと言うて、おかげの泉を持って、いわば合楽示現活動に参りますから、どうぞよろしくお願いします、という手紙が来ました。それは、なるかならんか分かりませんけれどもです、福岡の市長がお参りをして来て。言うなら、言うならあそこの博多どんたくなんかという、五日あんなら二日間な必ず降ると言われとるぐらいだそうですね。なるほど、市民のためにです、ね、天地が自由になるというほどしの神様ならばです、政治の上にだって、人間の体の上にだって、様々な人間、難儀の様々な事柄の上にもお働きが頂ける神様であるという事を市長さんが確信されるような、そして確信を持っての良い政治が出けるようなおかげを頂かれる日がです、来るならば、いよいよ有り難い事だという風に思わせてもらいます。ね。そして、その事を話させて頂いて、おかげの泉だけは、向こうに100円、やっぱり買うてもらう。ぜひ、どうぞいっぺんお参り下さい、と言うて、まあ、お勧めをして来たという手紙でございました。ね。これが福岡、もうそれこそあらゆる、その、ね、町に、または村に、市にです。ね、日本国中に、世界中にです。そういう信心を元にしてのです、言うならば、政治が行なわれるように、まあ、夢のような事ですけれどもです、その夢のような事が、もう実現しなければ、もういよいよいけない時代になっておるという事なんです。ね。私は、最近合楽で起こっておる、次々と起きておる奇跡の事をです、どうして神様がこのようなおかげを下さるだろうか。それは、もう神様の方が慌てよりなさるという感じ。もう、バタバタせんと、遅うなるちゅうような感じです。だから、先ず願う氏子におかげを授けて下さる。もう、分からにゃおかげはやらんという時代じゃない。ね。分かっても、分からんでも、疑うてもです。ね、お願いをするという事になったら、おかげになるということ。私、この頃、8月16日が夏の祈願祭でございましたけれども。私のお話を聞いて下さってから、あの、御祭典中におかげを受けた方が沢山ありました。沢山あったんです、本当。私がお祭りを下がって、あの、終わって、お話を終わって下がらせて頂きました。その、新しくお参り来る人達が、右の方の御結界から、こちらへズラッと続いとったて言うですから。これは信心のない方達。言うなら、勧められて、まあ、しょうことなしに参っとったのかも知れません。金光教の御祭典を拝ませてもらって有り難いと思ったか。私の話を聞いておる内に有り難くなったのか分かりませんけれども。とにかく、お礼お届けをさせてもらわなければおられないという方達で続いておったという事を、その時にちょうどお取り次をさせて頂いておりました三橋という先生が、もうその聞きましてから、ああ、有り難い事だなと。私はあの、お弁当を、夏は、ですから、パンとジュースを昼食のかわりに、お説教の後に頂いてもらいました。ね。胃癌で前々湯水も通らないというほどしの人がです、もうとにかく、あのパンを配りよんなさったら、あのパンの匂いがプンプンしてからね、食欲をそそった訳です。そして、ジュースも一本飲んでしまう、パンも二つ食べてしもうた。明くる日から朝のご飯が食ぶるごとなった。おかげを頂いて、これ、これはあんた、その、それこそ、また医者。ね、それやっぱ、胃癌であった方が良かったかんしれんて、胃癌じゃなかったじゃろうちゅう事になった。ね。この手の人差し指の筋を切ってですね、手がこげんなったばっかの叔母しゃまがおんなさった。それが、私のお話を頂きながら、こうこう(こうこうしござったら、こうやって立ったげな?)。はあ、それから動かしたら、こげんして動くち言う。もう、それこそ、また明くる日も、今毎日参って来よりますがね。もう、それこそリュウマチで立てなかった人が立てるようになった。ね。どうして神様がね、なら、私ぐらいな者の話を聞きながら、そういうおかげを、奇跡を現して下さるかという事を、もう神様が急ぎでおられる。いわゆる、寒天危地です。そして、神を信ずる生活。ね。神様を信じての、言うならば信心生活が出ける人間をです、一人でも多く地球上に生き残らしめたいという、神の願いだという風に最近思います。ね。長年、お互い信心をさせて頂いておってです。ね、本当にです、お導き一人出けないなんて、もうおかしいです。ね。今、毎朝、安東勇治君てのが、今日参加しとります。の、あの、お母さんとお父さんのお話なんですけれども。今、あの、吉井の所の手前の田舎の方へ移っておられます。だいたい、福岡で長い間、日本語の、まあ、何ち言うですか。(うきおいわれる、小さな、こうじょうじなんどります?)。理由あって、2~3年前から、こちらの浮羽郡の方へ、小さいこう家を建てて、まあ、ささやかな、いわば工場ですけれども。おかげを頂いております。住まいも適当なところにおかげを頂いとったんですけれども、もう、( )その家を空けなければならない事になりました。そこで、なかなか(おいしょれて?)、今頃、家もありません。そこで、尋ねあぐねておる末に分かったのが、今住まわれておられるお家なんです。ほれは立派なお家なんです。ところが不思議な事に、そこの家に住む手がない。もう、周囲は草ぼうぼうで、もう夏の事ですから、夏草が生い茂って、ね、立派な家だけれども、勿体無い。(だから?ところが?)その家を借ろうと思うて、近所に聞かせて頂いた。ああ、あの家は買いなさいますな、という事であった。なしかと言うと、幽霊が出ると言うのです。あじゃ、笑いでほんなこですばい。それは、ほんなこと、私も行ってからね、たまがりましたよ。あちらへお神様、霊神様を開式してから、奉祭させてもらいました。ところがもう、もう、半年ぐらいになりますでしょうか。その( )、それはもう、買ってもね、一月と中におりきらない。もう、何も何も変わった。ね。それで、あの、お伺いに見えましたから、それはもう、(からえて?)もらいなさいち私が申しました。そして、家の、私はよかばってん、家の主人がおるようですからていう訳。何の自分の方が怯えよる。それけん、アンタ、もう何なら私が行って、今から泊まり行ってやるて、私が言うた。それから、腹が決まったわけです。ところが、その、(おごやさん?大家さん?)がどこにおんなさるじゃ分からん。聞いたところが、熊本県の、あそこは何とかいう所でしたかね。ええ、何とか道路、ヤマガ。ね、あのヤマガにおられるという事が分かったので、わざわざヤマガまで行かれました。ところが、向こうの大家さん曰くにです。あの事は知ってお出でたんですかて言われた。あの事っちゃ、あの幽霊の事ですかち言うたら、その事を言うわけ。ね。はあい、もちろん知って来ましたと。ね。貴方が知ってお出でてからならば何ですけれども、実は本当にこういう事があるんですよと言うて、まあ、色々な自分達が直面、それにして、もう自分達も、もう、自分一生住む為に建てられた立派なお家なんです。それで、自分達がおりきらずに、借りたは次から次と、値段、家賃が安いもんですから。ただのごたる。それで、その借り手はあるけれども、1ヶ月も持てない。辛抱しておると、ノイローゼんごとなってしまわれる。それを、安東さん達が入られて、もう半年あまりになるけれどもです、ますます家は美しゅうなる。庭は、もうきれいに花がこう、立派に作られるというようになったから、近所の人がたまがってきた。ね。私がその事をお取次ぎをさせて頂きましたらね、神様からこんなお知らせを頂いたんです。洋服タンスにですね、洋服がいっぱい詰まってるんです。それに、あの、アンカにかけてから、首吊ると言うですね。かけておる、洋服屋の(でけあい?)の事を首吊りと言うでしょう。その、いわゆる首吊りをです、私があの、その洋服タンスを、ずうっといっぱい入っとるとを、こうやって押し退けて。そして、そこの中へかけさせて頂くお知らせを頂いた。ははあ、言うならば、そういうような事があるとするならばですね。幽霊が例えば出て、なら、その、出て来るならばね、それを、言うならば、この洋服タンスの中に閉め込むという事は、もう、ある一定の所にですね、もう押し込んでしまうという事だと、私は思わせてもらった。それで、私はそれを安東さんに申しました。それで、まあ、いわば安心して、おかげを頂いた。けれども、ようと考えてみると、その助かってない、その魂というか、助かってない、その幽霊の言い分もいっぺん聞かせて頂いて。これは安藤さん、お宅の御霊家に一緒に合ひするがいいばい。そして、助けるがよかばい。と言うて、まあ、そげなぐずぐずしよる時だったでしょう。勇治くんが、今、福岡におります。一晩泊まったげな、やっぱ出て来たっち。ほいで、もうその、ビックリした訳です。もう、今出ません。もう、ちゃんと合ひしましたからね。私が洋服ダンスの中に押し込むのとまだ合意しない、中間の時分に私はないかと、泊まったのが、と思うんです。ね。そしてね、あの、驚きます事は、その二階にこう上がるとね、もう本当にちょうど人が横になって寝ておるような染みがついてるです。見ただけでも、ゾーッとするような感じです。ね。ですから、それを剥いでも剥いでも、染みですからやっぱ向こうまでついておった。そこで、お父さんこの頃は、それをあの、これは考えて見るとね、この御霊さんのおかげで俺達がこういう立派な家に住まわせて頂くようになったんだから。と言うて、思うようになりましたら、この頃からはね、お地蔵様のように見えて来たと言うんです。ね。いわば、幽霊と同居しておられる訳ですけれども、賑やかな。そればってん、この頃、大家さんが夫婦で見えましたそうです。そればってんか、上がって下さいち言われて、どうしてん、こうこうしてから上がらしゃれじゃったて。はっはっは。ちょっとお茶なっと上がって下さいち、上がらっしゃらしゃった。けれども、村内の方はそんな訳ですから、もう毎日毎日何人かの方が尋ねて来て、お神様を拝ませてもろうてです、お話を頂かれて。今、毎朝、ね、自分方の自動車にいっぱい乗せて来る時なんか、二編行ったり来たりして、朝の御祈念にお参りをする。お父さんに、どうでんこうでん、小型バスいっちょ買うて下さいち今言いよりますち言う。もう、それこそ、お話を聞くと難儀な方達が周囲にいくらもあるのです。ね。今、毎朝そういう事で、そこの村からやっぱり5~6人、毎日お参りをして参ります。ね。おかげを頂いてです、例えばね、これは幽霊てん何てんち今時言うと皆さんが笑われるですけれどもね。やはりね、あの、魂の世界はあると私どもは信じなければ、金光様の信心は無くなります。ね。魂の世界は、もう厳然としてあります。ね。そこでです、んならば、私どもが、なら地球がね、破滅するとか、人類の破滅とかと言われる。それは破滅するのは、するかも知れませんけれども。ね。予言が的中するかも知れませんけれども。ね。私どもは、心だけは大事にして行きたい。魂だけはいよいよ清めた上にも清めておきたい。なぜって、魂の世界は破滅する事はないからであります。ね。だから、魂の世界に入ってから、(あただに実がこう?)、というような事ではない、もう本気でです、この世で言うならば、極楽を確認しておかなければいけません。ね。そしてです、ね、極楽の確認から、言うならば、合楽を示現する。ね。そういう、言うならば、神も助かり、氏子も立ち行く世界を広げて行くという御用をさせて頂いて。神様のお喜びを受けて。言うなら、天と地が一つになって喜び合う時に。ね、鶴亀の舞い遊ぶようなおかげ。めでためでたの若松様よ、枝も栄える、葉も茂ると言うではないか。生神金光大神は、家繁盛子孫半畳の道を教えるのじゃと。と、教えてあるのに、はたして金光様の御信心を頂いておる方達がです、家繁盛子孫繁盛のおかげになっておるだろうか。ね。私はなっていないと思う。これは、私の知っておる限りだけであっても、はあ、先代の時にゃ大変熱心な御用も出けておった、総代さんまでなさったという方達がです、言うならば、影もないようになっておられる方を幾人も知っております。ね。金光大神が家繁盛子孫繁盛の道と言うのは、なら、どういう道か。もちろん、おかげを頂く道ですけれども。ね、神も助かり、氏子も立ち行くというおかげの世界に住むということ。ね。言うならば、私どもが助かって、その私どもの助かりをです、自分の周辺に及ぼして行くという働き。ね。そういう事を、教祖様は教えておられると思うです。ね、だから、それが出来ずして、私は、あの世にも持って行けるとか、子孫にも残るといったような事はないと思う。ただ、おかげを頂いた、何十年間であってはならないのです。安東さんのお話ですけれども。この頃、有り難いなあと私は思ったんですけどもね。合楽から朝参って、また昼、また参って来られる。昼など参って来ると、農家の事ですから、はあ、おばしゃん、もう合楽参ってお帰りですかち言うてから、もう物を言われる、みんな。そすと、その(あせころ?)に腰かけといてから、まあ、一匹ばっかりどう、油を売りなさいちいう風に言うと、皆、田の中から上がって来なさる。そすと、その安東のおばしゃんが( )に腰かけながら、今日頂いて来た話をされる。本当にそれは、なら、どうでんこうでん、いっちょ私もちょっと連れて参って下さいといったような雰囲気が、今安東さんの家の周囲にある、起こっておる。ね。それも、その幽霊様のおかげである。ね、そういう家にです、もう平然としてと言うか、それこそ、有り難い、勿体無いで住まわれるほどしのおかげを頂いた方でございます。最近、ちょっとしたブームが起きております。それは、大黒天奉祭であります。ちょうど、先月の月次祭までに74体、大黒様が合楽のお広前から出て行かれました。今、また10何体、四国から新たな物が送って来ておる。今度の月次祭に、もうその(勢い?)、まあ、凄まじいですね、あの、大黒様奉ってから、お金がどんどん入って来るち聞いたもんじゃけん、もう、誰も彼もその大黒様ば。もう、久留米では、大黒様、よか大黒様はなかですよ。もう、買い散らかしとる。はっは。やっぱ、あれも人相のよかのじゃなかといかんですもんね。はあ、もう、その私どんの大黒様は、もう、もう合楽の親先生によう似ちゃるち言うですもん。そげん、私は(きろ?)が悪かの、いいえ、そげな段じゃありませんち言うばってん、やっぱ私が(きろ)が悪かちゅう事ですもんね、大黒様に似とる。大黒様が器量がいいとは思われませんからね。へえ。けれどもね、その、その確かに大黒様を奉祭したところが、その、お金がもう、その入って来る事だけは間違いないです。ね。これには、こういうような話があるんです。20数年前に、私、神様から色々お知らせを頂いておるように。小倉の初代桂先生。それから久留米の初代の石橋松次郎先生。それから、甘木の初代安武松太郎先生の事を、神様からいろいろお知らせ頂いた事があるんです。おかしいでしょう、これが私の病気です、お水飲むとが。いやあ、ばってん昨日手紙が来た、熊本から来た手紙にですね、私があの、私はだいたい糖尿病。だから、医者は絶対安静を言う。それで、おかげで出て(さ?)歩きませんから、本当に信者さんが助かる。そすと、やっぱ、そのきつい事はきつい。ね。けれどもね、この、お水があれば良い訳です。そこで、この頃からですね、その大黒様に皆さんがね、氷水をお供えする事を覚えたわけです。ね。昨日は総代会でしたが、あの、家、婦人の総代さんが、あの、親先生のお写真をこうやって毎朝拝みよった。それには、お茶が、親先生は好いたからと言うて、お茶をお供えしよる。そして、大黒様には、氷水をお供えしよった。もう、不思議に大黒様のおかげを頂いたら、ここはですね、その翌日、200万円がコロッと入ってきた。それは、もうほんなこと、コロッと入って来たて。後、まあ、1100万円入るごとなった。たった一人のおばあちゃん。もう、その話をすんなら、もう、ほんな事じゃあるじゃろうかちゅうごたるおかげになって来とるです。それだけお金が入って来たけんち、たったおばあちゃん一人ですから、お金はいらんのですけれども、毎日やっぱ入って来る。大黒様におかげのお供えばせん事がないちゅうぐらいにおかげを頂いとる。はあ、誰でもやっぱ、その話を聞くならですね、俺げも、私げもというごたる風で、やっぱお祭りするはずですよ。やっぱ、人間の欲望て凄まじい。大黒様奉っただけでコロコロ入って来る。ところが、どおと、それで貴方、四国、四国の大黒様作りの名人がおられる。で、そこに言うたところが、そこがもう、70いくつのお爺さんで出けない。そこで、その話を聞いた、ここの、まあ井上さんちゅうて、今日の会に入っております方のおばさんがおられます。1時間なんぼもかかる金毘羅さんの町まで、わざわざ自動車を走らせてね、大黒様を買い漁りに行かれた。門前町にだいぶ売ってる訳でしょうが、いろんな。ね。そして、その方の作の大黒さんを、もう私が良いと言うたもんじゃから、その大黒さんじゃなかにゃいかんという訳で、もうそれを、もうとにかく1万何千円もする大黒さんです。このくらいは。ね。それでも、貴方安いもんですもんね、コロコロ200万円コロッと入って来る。ほれで、この頃から11体送ってきた。ただ、後はもうないちゅうこと。それで、また後、色々それを売ってる事をして、昨日、一昨日でしたか。また10体、また送ってきました。ね。なぜそういう風に、大黒天を奉祭させて頂い・・・(テープ切れ、次のテープに続)